パテック フィリップの始まりは1839年。美術愛好家であったポーランド出身の亡命貴族アントワーヌ・ノベール・ド・パテックとポーランド人時計師フランソワ・チャペックによって、ジュネーブにマニュファクチュール(パテック、チャペック社)が創設されました。その後、パテックは若き天才時計師ジャン・アドリアン・フィリップと出会い、彼が発明した龍頭巻上げ・時刻合わせ機構に感銘を受けます。パテックとフィリップは共に「世界最高の時計を設計し、製作する」という大望を抱き、1851年に正式な共同経営者としてフィリップを迎え入れ、今日に続くパテック フィリップの名が誕生しました。
1851年にロンドンで開催された世界初の万国博覧会でパテック フィリップは世界最小の時計を発表し、金賞を授与。その際にコバルトブルーの七宝で仕上げられた世界初の龍頭巻上げ式ペンダント・ウォッチがヴィクトリア女王へ献上されました。美しさに見せられたヴィクトリア女王は、自分の瞳の色と同じライト・ブルーの時計も購入し、夫アルバート公のための時計も発注したと伝えられています。パテック フィリップはヴィクトリア女王をはじめ、ワーグナー、チャイコフスキー、キュリー夫人など、歴史に名を残す多くの偉人たちに愛されてきたと伝えられる歴史があります。
パテック フィリップは1851年にニューヨークのティファニー本店でチャールズ・ルイス・ティファニーと出会ったことをきっかけに、アメリカ市場におけるリテールパートナーとして、ティファニーと契約を締結しました。そして、時計とジュエリーの分野で最高品質を追求していた両社は「顧客への感謝と最高のサービスを提供する」という価値観を共有しながら良好な関係を築き上げ、1876年にはティファニーをアメリカの総代理店に任命。このパートナーシップは170年を超える歴史とともにさらに深まり、これまでティファニーとのダブルネーム作品も数多く生み出されています。
第一次世界大戦後、欧米諸国を中心に世界大恐慌が起こり、スイス時計産業にも暗い影を落としました。パテック フィリップもかつての顧客が激減し経営難に陥ります。そこに資本の手を差し伸べたのが、文字盤製造会社を経営していたジャン・スターンとシャルル・スターン兄弟でした。スターン兄弟は1932年にパテック フィリップの経営権を取得し、経営の立て直しを図ることに。そして新たな出発を迎えたこの年に、永遠の名作として知られるカラトラバが誕生。斬新でモダンなスタイルのカラトラバはパテック フィリップの新時代の訪れを告げるシンボルとなりました。